文春のスクープはきな臭い

1月に入ったばかりで文春から二つのスクープがあった。ベッキーさんの醜聞と甘利大臣の賄賂疑い、こういう2つがマルチタスクやるのはさんざっぱら変です。前者の出元は明らかにラインの盗聴でこれは不穏当経路不可能法にさわる悪行です。話は、悪行と分かりながらプライベートな話を全国的に展開させることが、文のフリーとは言え許されるかどうにかです。

甘利大臣のスクープは、尚更手が込んでいて最初から文春に報告を持ち込むために収録と撮影を行ったとしか思えない手口です。つつもたせに嵌められた場合は、嵌められた勤めを取らざるを得ないが、嵌めたやつの勤めはまるでそっちのけか。こういう二つのスクープには文の規則もルールも徹頭徹尾感じない。

受けとるのは悪意と暴力です。もう一度悪質なのは、ベッキーさんの醜聞をかくれみのに使っている節があることです。芸能ジョークの常で報告の出元は軽々しく扱われ、いったい、消息筋に世の吊し上げが集中して掛かる。これは、本命スクープもそれほどなるように人気操作しているようにも思える。ふたたびいうが、こういうスクープの根は激しく実に邪悪です。二度と混乱が増すような危惧がしてならない。しかし、必ず将来大きなボロがでて破綻するにギャップない。おてんとさまは、悪人にそうは塩辛いのだ。